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【開学30周年記念】今中亘氏(前理事)・平尾順平特任准教授(国際学部卒業生)・佐藤優さん(国際学部4年生)

「この人と話したい」は、活躍している学生・卒業生・教職員から、学長が話を聞いてみたい人を学長室にお招きし、対談する企画です。

今回は開学30周年記念の特別企画として、本学の30年のあゆみにさまざまな立場から関わってきた前理事の今中亘氏、本学卒業生で現在本学特任准教授の平尾順平氏、国際学部卒業生の佐藤優さん(対談時、4年生)と若林学長の4人に、本学の地域と世界における存在意義や未来への期待について、思い出などを交えながら語ってもらいました(2023年11月30日、本学にて)。


平尾(司会) 
今日は広島市立大学開学30周年記念座談会にお集まりいただき、ありがとうございます。皆さんにそれぞれの立場からこの30年を振り返っていただきたいと思います。よろしくお願いします。

一同 よろしくお願いします。

平尾 私は開学2年目の1995年に入学しました。大学もまだ「これから」という時期で、例えば講堂がまだ完成しておらず体育館で入学式をしましたし、今は立派になっている中庭の木も当時はまだ小さくて添え木がしてありました。学生たちも、まだ先輩がいなかったので「この大学を作るのは僕たちなんだ」という思いがとても強かったですね。クラブ・サークルを立ち上げたり、学歌もコンペで作ったり。卒業してから、年の離れた後輩に会うと嬉しくて、この大学の文化を受け継いでくれていることに感謝しています。大学の創成期に関われたことがありがたいですし、喜びですね。

今中 私は、第2代学長の藤本黎時先生からの依頼で法人化前の2005年に評議会委員。その後に理事に就任しました。キャンパスに来てみて、緑豊かで、学生さんものびのび学んでいるという印象を受けました。図書館も蔵書が豊富ですから、時々立ち寄って、本を読んだり学生さんとも意見交換をしたりしていました。一線で活躍している卒業生は多いし、市民の一人として誇らしい大学だと思っています。

 

佐藤 私はコロナ禍1年目に入学したので、1年生の前期は授業もすべてオンラインで、県外の実家で過ごしていました。友人作りなど学生にとっていろいろ難しかった時期ですが、私は広島に戻って国際学生寮「さくら」に住んでいたので、友人はそこで作れました。

若林 佐藤さんは熊本の高校を卒業したんですよね。

佐藤 はい。もともとは仙台の出身なんですけど。広島市立大学に入学した理由の一つは広島平和研究所があることだったのですが、今そこで原爆関係の資料のアーカイブ化など研究補助をさせてもらったり、先生の紹介で広島平和記念資料館での資料整理のボランティアをやったり、広島市の大学に来たからこそできることをしています。

今中 反核・平和報道に力を入れている中国新聞社の記者をしていたので、シンポジウムなども開催して「ヒロシマ」を世界に発信している広島平和研究所は重要なニュースソースでもあります。広島市にふさわしい大学ができて、当初の狙い通りの成果が上がっていると受け止めています。

平尾 市大は、地域のつながりや地域への貢献を特に重視していますよね。広島における市大の存在意義を求められていますし。

今中 平和研究所があることは大きな付加価値なんです。それから、入学者は県外出身者が4割から5割を占めています。それはやはり広島でしか学べない研究と平和学習を提供し、そのための優秀な教職員を揃えているからだと思います。国際学生寮も併設されました。留学生がもっと増えて、国際的な知名度も上げてほしいと願っています。

平尾 今はアジアからの留学生が多いですか。全国的な傾向でもあると思いますけど。

若林 そうですね。中でも中国が一番多く、次が韓国ですね。芸術学部にはドイツやフランスなどヨーロッパからの留学生も来ています。今中先生もおっしゃいましたが、芸術が学べることに加えて、広島にあるということで本学を選んでくれる留学生もいるのではないかと思います。

佐藤さん、若林学長

平尾 在学中は、所属する国際学部以外の学部の学生との付き合いがあまりなかったのですが、卒業して地域社会に関わるようになると、一緒に仕事をする人たちの中に芸術学部や情報科学部の卒業生が多くいるんです。これは市大にとっての可能性なんだなと分かったんですよね。市大の3学部の多様性は強みであり、これを生かした地域社会への関わり方が、卒業生も含めてできれば、「あの大学といえば」という特長になると思っています。佐藤さんは卒業後の進路など考えていますか。

佐藤 修士課程に進む予定です。また、広島平和記念資料館でのボランティアを通じて興味を持つようになった学芸員の仕事に就きたいと思っています。この4年間に広島の被爆について学んで、原爆投下に留まらず世界各地の核実験や原発事故などでも放射線の影響を受けた「グローバル・ヒバクシャ」にも関心を強く持つようになりました。広島中心の語りではなくて、世界のヒバクシャと連帯して、より広い場でより多くの人に「ヒロシマ」を発信する取組ができるようになりたいと思っています。

今中 私は前線の新聞記者時代に、国連本部のあるニューヨークの支局勤務をしました。国際社会で活躍している日本人がまだ少なかった時代です。広島でヒロシマを学び、海外へ出て行ってヒロシマを伝えることの重要性を認識しています。市大で学ぶ皆さんも切磋琢磨し、国際社会の一線で母校の後輩の刺激にもなるような活動をしてほしいと願っています。

平尾 市大は、これまでの30年を振り返りつつ、次の30年、さらにその次の30年と続いていくわけですけど、最後にこれからの広島市立大学への期待を皆さんにお聞きしてもいいですか。

佐藤 普段いろいろな活動をしていても、被爆者の方たちを含めて市民の皆さんが持つこの大学への期待は大きいと思います。広島市立大学にしかできないことは本当にたくさんあると思うので、県内からの学生も県外や国外からの学生も、広島市で学べることをどんどん更新、パワーアップさせていく、そういう場であり続けてほしいです。

今中 公立大学として教育研究の成果を地域へ還元することも大事な役割だと思うんですよ。市大の皆さんには、建学の基本理念に則って教育研究をしていくと同時に、メディアを通じて国の内外への発信やPRもどんどんやってほしいですね。

若林 30年前に打ち立てた建学の基本理念はこれからも変わりません。「国際平和文化都市」広島市の知の拠点として、小規模大学の良さ、3学部の多様性、教育研究を通じた平和の希求などの特色を生かしながら、開学30周年のキャッチフレーズ「ひとと、まちと、これからも。」のように、これからも広島市民の皆さん、広島広域都市圏の皆さん、さらに世界の人たちと共に、この大学を成長させていきます。

 

(本対談は、West BreezeNo.92(2024年4月発行)に掲載されています。)

 

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