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向地 由さん

「この人と話したい」は、活躍している学生・卒業生・教職員から、学長が話を聞いてみたい人を学長室にお招きし対談する企画です。

今回は、本企画の第7弾として、官民協働海外留学支援制度「トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム」に採用され、平成28年4月から平成29年1月までルワンダ・プロテスタント人文社会科学大学に留学していた国際学部4年の向地由(むこうじゆい)さんにお話を伺いました。

学長
 この学長対談シリーズでは様々な活躍をされた学生や卒業生と対談しているんですが、留学をしたということによる対談は今回初めてなんです。向地さんが留学先としてはちょっと思いつかないような国、ルワンダに行かれたということでぜひ対談してみたいと思い、来ていただきました。「トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム」(以下「トビタテ」)に応募した時にルワンダへの留学をほぼ決めていたということですが、実際にそうだったんですか?

向地 はい。単に英語を学びに行くための留学よりは、どうせ海外に行くなら自分の知見をもっと広めるとか、興味のある勉強をしたいと思って。2年生の夏だったかな、日本で教育活動をされているルワンダ人の女性が広島でイベントをされた時に直接お会いして、ルワンダっていう国を知って、その後に自分でいろいろ調べてルワンダに決めたんです。今振り返ってみたら、原点だったのは自分が広島で生まれ育って、祖父も被爆者だったのもあって、平和について考える機会が多かったことなんですけど。そこからじゃあ今平和じゃないとこってどこだろう、紛争が多いとこってどこだろうって考えたときに、やっぱりアフリカっていうのが自分の中で一つありました。同時に(国際学部の古澤准教授の)「紛争解決論」という授業でやった紛争解決とか平和構築っていう勉強が、私が勉強したかったことなんだと気付きました。それでその現場を見るのもいいな、という思いとも重なって、3年生になってからですかね、ルワンダへの留学をイメージするようになりました。古澤先生から、ルワンダの大学で教えてらっしゃる佐々木和之さんという日本人の方を紹介してもらって、そこにジェノサイドとか紛争を経験した若者たちが一緒になって平和を勉強していくコースがあることを聞いて、ああもうこれだ、と思って。

学長 人類最初の被爆都市である広島と何かのつながりを思ったわけですね。それで平和が失われた所に一回行ってみたいと思ったんですね。

向地 そうですね。平和構築とか開発学の学問はやっぱりイギリスとアメリカ、特にイギリスが強いというのは知っていたんですけど、私の勝手なイメージですけどそういう人たちは普段本を読んで勉強して実際にアフリカを本当に見ているんだろうかというのが、自分の中では疑問で。すべての研究者がそうではないと思うんですけど、そういうイメージが私の中にあって、それよりは、たとえちょっと(欧米に比べて)学問のレベルが低かったとしても、やっぱり現場にいる人たちと一緒に現地の、その文脈の中で勉強するのが今の自分にとってはいいんじゃないかと思って。そういうふうにいろいろ人に聞きながら迷いながら決めました。

学長 体系立った勉強をするのはいろんな所で機会はあるだろうけど、現場を見に行くっていうのは機会がある時じゃないとなかなかできないですよね。なるほど。それで「トビタテ」に応募しますよね。「トビタテ」自体にも結構刺激を受けたみたいですね。

向地 受けましたね。単純に海外で英語を勉強しに行く人ももちろんいるんですけど、それぞれみんな個性というか、自分の武器みたいなものがあって、日本以外の所でもっとその可能性を広げたい、伸ばしたいっていう方がとっても多くて。そういったなかなか出会う機会が無い人に出会えて、行く前にもすごく刺激を受けました。あと、応募申請書を書く時に、この留学は何のために行くのか、行ってその先どう生かそうかっていうことを必然的に自分に問うので、わからないなりに考える、自分と向き合う機会になりました。

学長 とても大事なことですね。それではルワンダの話をお聞きしますが、ルワンダで行った大学は、首都にある大学ではないんですよね?

向地 首都のキガリから南にバスで2時間半くらいかかる、首都の次に大きいといわれているフィエ(Huye)という所です。学問の都市でルワンダ国立大学がある所です。私が通ったのは私立なんですけど。

学長 移動手段はだいたいバスなんですか。

向地 バスですね。電車は無いんですよ。

学長 治安はどうですか。

向地 治安はとても良いです。アフリカの中で一番良いといわれるくらい。

学長 寮生活だったのですか。

向地 私はシェアハウスをしました。ルワンダとコンゴの学生と、あと日本人の学生と住んでいました。

学長 典型的な一日を教えていただけますか。

向地 働きながら通っている人も多かったので、平日の授業は夜の6時から9時までなんです。土曜日は朝8時半から午後6時とか。長いときは8時までありました。

学長 平日はだいたい夜授業をやるんですね。

向地 はい。1コマだけありました。土曜日は、いろんな授業が詰まっていたりとか、ワークショップがあったりとか。平日の昼間は、週に1回、青年海外協力隊の方がおられる小学校でボランティアの手伝いに行ったり、マーケットで買い物したりしていました。あと、大学にピースクラブという平和活動のクラブがあって、土曜日はそのワークショップに参加したりもしていました。

学長 授業は「Peace and Conflict Studies」や「Group Facilitation」を受けたそうですね。実際にジェノサイドがあったルワンダで受ける「Peace and Conflict Studies」の授業は、どんな授業なんですか。ジェノサイドを経験した学生もいると思うのですが。

向地 クラスメートにはジェノサイドを経験した世代の方もいたんですけど、国際社会の文脈の中での話になったときに、ヨーロッパ批判が出るんですよ。やはり彼らの中には植民地化されたことが紛争の一つの原因なんじゃないかという考えがあって。それはある意味で当然の流れなんですけど、私は初めてそういう意見に触れたので、やはりこれまで日本という先進国の文脈で勉強してきたんだということをあらためて感じました。「お前たちにも責任があるんだぞ」っていう彼らの先進国に対する見方は、やはりアフリカで勉強しないとわからなかったなと思います。あと、みんなそれぞれいろんな現場を見てきてましたね。例えば自分の住んでいる村に政府がこういうプログラムを入れたとか、いろんな団体でボランティアやインターンシップをしたとか、理論を勉強するだけじゃなくてやっぱり実践としてやっている学生が多かったですね。ある学生は、すでにコミュニティ開発の仕事に携わっているから、理論を勉強すると「あ、こういうことか」と理論と実践がつながって学びが深まると言っていました。

学長 「和解の授業」というのもあったんですね。

向地 「Reconciliation in Theory and Practice」という授業でした。これは私の中で一番印象に残った授業です。紛争をはじめ様々なことが原因で自分の心が傷つけられた中で、どのように癒しや和解のプロセスが進むのかを学んだり、謝罪や赦しがどういうふうに和解に作用するかとか、そういう理論的なことを勉強しながら、同時に実践面では、ジェノサイドの加害者と被害者があるNGOのプロジェクトを通じて7、8年かけて少しずつ和解をしていったケースがあるんですけど、そのお二人をゲストスピーカーとして招いて、実際にどんなだったか話をしてもらって学生たちと対談していただいたこともありました。そういうふうに、具体例を交えながら理論を学びましたね。日本だと講義を受けて本を読んで終わりっていうようなイメージだったんですけど、ルワンダに行って、はやり勉強は実践とつながるべきだと実感しました。

学長 留学中に大学で、ヒロシマについて伝え、ルワンダの学生たちと平和について考える「ヒロシマ・セミナー」という取り組みもされたということですが、反響はどうでした?

向地 ルワンダの人たちは広島や長崎のことを結構知ってるんですよ。小学校の歴史の授業で習うって言ってました。でもそれは、原子爆弾が落ちた、落としたっていう上からの視点なんです。でもセミナーで、みんなで一緒にドキュメンタリーフィルムのDVDを見たんですけど、そこで原爆を落とされた人たちがいた、苦しんだ人たちがいたっていうことに衝撃を受けていて。紛争を実際に経験した彼らにとっては、それがある部分では、重なるところもあったと思うんですけど、新しい視点でもあったみたいです。

学長 質問もいろいろ受けたのですか。

向地 そうですね。一番印象に残っているのは、ブルンジの女子学生だったんですけど、真剣な目で私の目を見つめて、広島はこんな経験をして「それでもなんでアメリカを赦せるの」って。考えたことなかったし、本当にわからなくて、その時に「あぁ、自分はヒロシマのことを自分の問題として考えてなかったのかな」と反省しました。ルワンダとヒロシマの間にも近隣諸国との関係とかつながることがいろいろあるし、起きた事象は様々かもしれないんですけど、根本的な構造や問題は意外とつながるんだろうなと思い始めています。あと、このセミナーをやった時に意識していたのは、伝えることも大事ですけど意見を聴きたいということです。ヒロシマとルワンダに共通する疑問として、過去の出来事をどういうふうに次の世代に伝えていくのか、継承するのか、ということが自分の中にありました。というのも、ルワンダでジェノサイドの記念館に行ったことがあって、そこには殺された人たちの骨が石灰で固められてそのまま置いてある。それを見た時に私は「これは継承なのか?」と思いました。これも継承の一つの形ではあるんでしょうけど、本当にこれでいいのかという疑問を持ちました。そもそも継承すべきと考えるかというのもありますし、どんなふうに伝えていったらいいのだろうということを議論したいと思っていました。文脈も経過した年数も違うのでやはり一緒にはできないという意見もあったんですけど、でも引き継がなければいけないという点ではみんな一致していました。それは、つながりを感じたところですね。卒論でもミュージアムの展示のことを取り上げる予定です。

学長 いろんな話を伺いましたが、最後に後輩たちへのアドバイスをいただけますか。

向地 今は留学が身近な選択肢になってきたと思うんですが、ですが、だからこそなんで行くんだろうということを考えたら、留学がより充実したものになると思います。あと、どこにいても、大学生活でも実社会でも、相手から何か学べるんだという意識、相手から学ぼうという姿勢を、今のうちから養ってほしいなと思います。

学長 今日は長時間ありがとうございました。向地さんのこれからが楽しみです。今日はどうもありがとうございました。

向地 ありがとうございました。

 

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